Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

私の旦那様は推理小説家

今日は、Seelデザイナーのミズキです。二度目まして。

今回がブログ書き二回目にして最後になるかもしれないとのお達し、さすれば何を書きつけてやろうと思い至ったはよいものの、あなたのハートをキャッチできるような小ネタは懐にありません。なので、最後に自分の好きなものについてキャッチャーされた理由なんてものを共有できればと思います。

タイトルにある通り、私の将来の旦那様は推理小説家です。またはシャーロックホームズかゲーテ。後者の二人はもとから存在しないものと故人なので如何せん厳しいやもしれませんが、いつか夫作ミステリーを私が読み、自分の推理話をしながら「私もこんな風に殺されたい!」みたいなイチャイチャ、夢のようですよね。

その中でも私が特にお熱な推理小説家がエドガー・アラン・ポウです。こちらも残念ながら故人になります。今日は彼の好きなところを少しばかり、お付き合いください。

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彼はアメリカのゴシック小説家。ゴシックとは池袋サンシャインから乙女ロードにかけてたびたび目にするゴスロリの方々のゴスの部分(ゴシック&ロリータ)です。

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この黒くてヒラヒラした衣装、自分が男の人だったら彼女に一度は着させたかった。このゴスロリのゴシック、先ほど出てきたポウのゴシックとは実は本質的に異なり、もとはイギリス派のゴシックから来ています。アメリカ派ゴシックとイギリス派ではゴシック意味が大きく違うのをご存じでしたか?

たとえばハリーポッター。こちらはイギリスゴシックを表現している作品だと言われています。大きくそびえ立つホグワーツのすごみ、彼らの身に着けている衣装のこだわり、そこに潜む闇の気配。これがイギリス独特のゴシックです。

ではアメリカ派ゴシックとは何ぞや?ですよね。彼らのゴシックはより歴史的背徳観念からくる闇を表現しています。アメリカ人がその時代常に持っていた罪意識、つまりアメリカ白人の意識の底に潜んでいたインディアン・黒人への差別です。

ポウはゴシック文学として、この題材をつねに突きつけた作品を残しました。ここで彼の有名な作品を二つ紹介しましょう。

1つ目が『The Black Cat』 私も大好き黒猫です。この物語はとても短いお話で、酔いつぶれた男が飼い猫に虐待をし、その猫が幾度となく自分の前に現れるので殺そうとしたところ、誤って妻を殺してしまうという内容。さすが愛しのポウ、残酷きわまりない!!

でも、ただ残酷なだけではないのが彼の魅力。猫に対する男の仕打ちは白人が黒人の人々に歴史上行ってきた事実を描き出し、最後に誤って殺されてしまう妻という登場人物は、当時の男社会に生きる彼女たちの役割から「奴隷」としての意味づけがされていました。そして何よりもわかりやすい表現が、黒猫=黒人。自らを強者と主張する者の傲慢さを低く一定な残酷さで表現したのです。

そしてもう一作紹介したいのが『William Willson』 。ウィリアムウィルソンという名前から想像できるとおり、これはドッペルゲンガーのお話。こちらは少々内容が長くなってしまって飽きが来るので端折りましょう。この作品でポウは、差別という歴史を否定や隠そうとする心と、実際に罪を犯したものとの二重人格という形でゴシックを描き出します。最後に片方が相手を殺すシーンで「お前がオレを殺したということは、お前も死ぬということだ(すいません、あやふやです。)」てきな名言を残します。自分の生きる国へ、真正面からの言葉だけでは伝えられないものを彼は彼自身の作品を通じて残しました。

こちらのオマージュとしても知られる、ドッペルゲンガーイチ有名作品、「ジギル博士とハイド氏」。こちらは原題「Dr.Jekyll and Mr.Hyde」となっていますが、Jeがフランス語で「(日本語)私=I(英語)」なので「I kill and hyde」、「私は殺し、隠れる」というメッセージも含まれています。

 

 

ものを作り出し、後の世界に伝えるというのには、大きな課題と使命を感じます。それは私たちの作っているSeelも、ポウの小説も、映画も、音楽も。現代に知られるR&Bの原点Sorrow Songs(悲しみの歌たち)は迫害された黒人の人々が白人にわからないように、逃げる手段、お互いの励ましをメロディーにのせ、労働時に口づさんだとされています。本当に大切なものは、なかなか目に見えない、聞こえないところにあるのかもしれません。それは人を動かしたり、誰かを殺したり、国を揺るがすことことかもしれない重要なことだから、ひっそりと見つけてもらうことを待っているのかも。それを考え見つけ出したとき、私たちは事の本質に触れるのです。、、、なんちゃって。なんだか恥ずかしくなってきます。そろそろやめましょう。

感性を最大限に使われて作られたモノには私たちも最大限の感性で。私が推理小説が好きなのは、その隠された何かを疑似的に探しているような感覚になれるからなのかもしれません。あと、単にすごい魅力的。セクシー。

 

ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。みなさんが少しでも推理と刺激的な娯楽の御傍にありますことを願って。そしてまたいつか、お会いできる日を願って。