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Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

こんばんは。この春3年生になってしまいました、佐々木です。

大変です。つい最近Seel編集部に入ったのに、Vol.23発刊して7月で引退です。

はやすぎやろボケェ……

 

ということで、びっくり悲しいことに、ブログ担当になるのも今回で最後のようです。Seel部員がひっそりやっているこのブログ、誰かが読んでくださっていたらですね、サイコーにハッピーでございますよ。

 

SeelはただいまVol.23制作まっただ中ですので、いろいろやることたんまりで哀しい気持ちになることもたくさんあります。

Seelも頑張りたいけど、大学の勉強もあるし(てかそっちが本業だし)、お金ないからバイトもしなきゃ(切実)、あれもやりたいこれもやりたい!わーーーーーー!

そうすると、自然と色々なことが荒くなってミスも増えてきたり。

 

なんでこんなミスしちゃうんだろ、もっと自分に出来ることあったのではないか、と思ったり。

 

うーーーん。

 

 

そんなときにふと思い出すのがこの小説。

『知らない映画のサントラを聴く』竹宮ゆゆこ

 

あらすじはこんなん。

「錦戸枇杷。23歳。無職。夜な夜な便所サンダルをひっかけて“泥棒"を捜す日々。奪われたのは、親友からの贈り物。あまりにも綺麗で、完璧で、姫君のような親友、清瀬朝野。泥棒を追ううち、枇杷は朝野の元カレに出会い、気づけばコスプレ趣味のそいつと同棲していた…!朝野を中心に揺れる、私とお前。これは恋か、あるいは贖罪か。無職女×コスプレ男子の圧倒的恋愛小説」(Amazonからひっぱりました)

無職さんの話です。

竹宮ゆゆこといえば『とらドラ!』とか『ゴールデンタイム』の作者として有名でしょうか。

どっちも大好きです。アニメめちゃめちゃ観てました。

この小説は、去年?、新潮文庫の新しいレーベルで出版されたもので、ライトノベルではありません。見た目ラノベっぽいんですけどね。

読んでみると、最初は正直あんまりページを捲る手が進まなくて……でも、途中から面白くなって、電車のなかで一気読みしました。

 

竹宮ゆゆこといえば、自由奔放なヒロインが特徴的かな、と思います。とらドラ!の大河もしかり、ゴールデンタイムの香子もしかり。

自由奔放なヒロインに振り回される主人公(男)、のような構図が竹ゆゆあるある。

しかし、今回は自由奔放なヒロインの“親友”がキーパーソンとなっています。

 

今回の主人公(女・無職)はですね、実家の家事は家族のかわりに全部自分がやっていて、自分はこの家に必要とされている(と思い込んでいる)んです。

「仕事が忙しい家族のために自分が頑張る」

 

ある夜、枇杷は知らない男に1枚の「写真」を盗まれます。この写真は無職・枇杷にとって財布よりスマホより大事なもの。

そこに写っているのは、親友・清瀬朝野。

 

朝野と枇杷は小学生のときからの親友です。

「転校してきて三ヶ月。朝野はクラスにまったく馴染んでいない。

雰囲気が違う。持ち物も違う。なんかにおいが違う。お父さんもお母さんも日本人だというが、でも、明らかに顔の感じも違う。妙になめらかで、鼻がつんとして、目ばかり大きく光っている。長いサラサラの髪も違う。アメリカブランドの服も違う。言動も違う。先生の言うこと、決めたことに対して、反応の仕方もみんなと違う」 

最初は朝野を遠巻きにしていた枇杷ですが、ひょんとしたことから距離が縮まります。

ケンカもするけど、仲良し。大学生になっても、ファミレスでおしゃべりするのがふたりの日常。

だったはずなのに、朝野はある日枇杷にはなにもいわずひとりでいってしまいます。

伊豆の海辺で倒れているのが発見されたのです。

 

もう一人、この物語のヒーローは朝野の(元)彼、昴。実は彼が、枇杷の大事な「写真」を取った犯人なのですが。

今回彼の話は省略させてもらいましょう(ごめんね)。

「朝野はある日、消えてしまった。自分と昴はもういない朝野を探し続けて、それぞれ逆方向から走ってきて、朝野という存在がかつてあった磁場に引き寄せられるように、やがてぶつかるように出会った」

この小説は、そんなに「圧倒的恋愛小説」でもないような。枇杷と昴の恋愛要素もあるんですけど。

どちらかというと「贖罪」の物語のほうが強い。

主人公・枇杷も、朝野の元彼・昴も、朝野の死に関してとりかえしのつかない後悔をかかえています。

 

「あのとき私がこうしていれば」と後から思うことって多々あると思います。

「私があのときこうしなかったこと」「こうしてしまったこと」は罪なんでしょうか。主人公がところどころで「これは罪なのか」と自問するシーンがあります。

 

朝野が死ぬ前、ファミレスで悩みを相談された枇杷はすこし邪見に、深くは聞かずに笑ってすごしてしまいます。

 

 彼女の時間は朝野が死んでしまったときから動いていない。あのとき、なんで「それでいい」なんて思ってしまったんだろう、もっと朝野の話を聞くべきだった、そんな罪意識から逃れられず前に進めなかった主人公。

昴と出会い、ふたりとも少しずつ前に進めるようになります。

 

 

「どこへでも、いつにでも、自由になって、元気になって、何度でも生まれる。そうやってみんな、自分の世界を回し続ける。そうやって生きて、出会って、変わって、別れて……最後にはみんな、海へ溶けていく。その時を目指して、ただ回るのだ」

 

「海へ溶けていく」という表現いいですね。すごく好きです。

 

小さなことでも大きなことでも、後悔がつきまとって離れないときがあります。

 

なんであのときこうしなかったんだろう。

 

私がもっとしっかりしていれば!

もっと気が利けば!

こんなことにはならなかったのに!

 

Seelでも何度取り返しのつかないミスをしたことやら!笑

でも世の中って諸行無常だから、永遠に同じものなんてないのだし、やっぱり前に進むしかないのかなって、そんな風に思います。

海へ溶けていくときまで、私たちは周りつづけるしかない。朝野がいなくなってから、時がとまってしまった主人公だからこその到達点です。

立ちはだかった壁に出会ったとき、私たちはどう対処したらいいのでしょうね。

 

 

『知らない映画のサントラを聴く』

 

表紙のポップなイメージからは程遠いストーリーかもしれません。

哀しい気持ちになったとき読みたい一冊です。

 

よろしければお手に取ってみてください。