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Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

おいしそうな小説

はじめまして。営業一年の渡辺です。11月に入り、すっかり秋になりましたね。いくら食べてもお腹がすいてしまいますが、本を読んでお腹がすいてしまうこともあります。というわけで、今回はおいしそうな小説を紹介したいと思います。

 はじめに紹介するのは、江國香織さんの『抱擁、あるいはライスに塩を』です。タイトルから既においしそうですね。ご飯などと表現せず、ライスという感じが彼女らしいなあと思います。

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この本は、大きな屋敷に住む三世代の変わった家族を描いた物語です。フルーツや(グレープフルーツをぱくりと食べると表現しています!おいしそう)、つめたい牛乳(ただの牛乳ではなくつめたい、というところが想像力をかきたてますね)、ココアといったありふれた飲み物でさえ読んでいるうちに自分も口にしたくなるのに、肉料理の描写がたまりません。ステーキを食べるシーンがあるのですが、自分も部屋から外に出てステーキを食べに出かけたくなります。
また、日常の朝食や夕食も家族そろって食べている主人公たちを見ると、人と一緒に食事する大切さを感じます。誰かと一緒に楽しく食事をしたいものです。
 

 さて、私は本を選ぶ際、食べ物がおいしそうに描かれているかどうかを最も重視しています。そこで、タイトルで選ぶこともあります。たとえば、『アーモンド入りチョコレートのワルツ』という森絵都さんの短編集も甘くておいしそうだなあと思って手に取りました。食べ物の話ではなかったですが・・。また、江國香織さんの『流しのしたの骨』は魚の小骨が流しの下にある食いしん坊の話かなあと思って読み始めたら全く違いました。太宰治の『桜桃』も読みましたが、飲んだくれの夫と妻のお話でした。桃というよりお酒がおいしそうな小説でした。

また、この作家さんは食べ物がおいしそうだと確信して、本を手に取る作家さんがいます。先ほど取り上げた江國香織さんはもちろんですが、村上春樹さんもそうです。
ダンス・ダンス・ダンス』とともに、村上さんの小説がおいしそうな理由を私なりに分析したいと思います。

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村上さんの本は、二つの理由でおいしそうです。ひとつめは、主人公が作る食事です。彼の作品は大体、顔がよくて何事もそつなくこなすので女の子が寄ってくる斜に構えた青年が主人公です。青年は基本的に孤独なので、自分でご飯を作って一人で食べることもあります。そこで主人公たちはパスタをゆでたり、サラダを作ったりして、ラジオやレコードを聴きながら一人で食べるのですが、ただ料理名を列記しているだけなのにおいしそうなのです。私は、ひとりで生活する楽しさを感じるからではないかと思います。一人暮らしはさみしい一方で、自分で自分の生活を送れる自由さがあるのではないでしょうか。そんな喜びを感じます。
ふたつめの理由は、表現が独特なことです。“ピナ・コラーダ”、“パイナップル・ジュース”、“ピザ”ではなく“ピッツア“とするように、正式な発音や表記に近いです。そのほうが飲み物はキンキンに冷えていそうだし、ピザはアツアツそうです。食べ物や飲み物は基本的にこのように表記されているので、村上さんの本を空腹時に読むとつらくなります。
 
例えば、“少し散歩してまともなハンバーガーを食べにいこう。肉がカリッとしてジューシーで、トマト・ケチャップがとことん無反省で、美味く焦げたリアルな玉葱のはさんである本物のハンバーガー”と主人公が食事に誘う場面があります。すみずみまでおいしそうで、ハンバーガーをありありと想像できます。
また、江國さんにも共通することですが、変換のこだわりを感じます。“冷たい”ではなく“つめたい”、“玉ねぎ”ではなく“玉葱”とされている。このような心配りが行き届いています。

 
まだまだ書き足りないですが、お腹がすいてきたので終わりにします。皆さんも本を読む際は食べ物を意識してみてはいかがでしょうか。私はハンバーガーが食べたくてたまりません。それでは。