Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

世界を、あるいは自分を、変えた書物。

 

こんにちは、広報2年の後閑です。

 

日本列島はすっかり秋の様相を呈してきました。しかし、私の20年の人生で得た教訓として、秋はどうにも一瞬で過ぎ去ってしまうという事実があります。酷暑の夏が過ぎたと思えばあっという間に気温は下がり、手厳しい冬がやってくる。悲しいですね。

 

季節の移ろいがせわしなければ、それにのせられる人間もまた同じ。ついこの前まで「平成最後の夏」だなんてエモーショナルなフレーズに浸っていたと思えば、今度は「○○の秋」と触れ込んで、どうにか季節を満喫してやろうと意気込むものです。

 

私もその御多分にもれず、今年は「読書の秋」と洒落こんでみようと野望を抱いています。しかし、ただ本を読むだけではいささか面白くない。せっかくなら「個人的にヤバかった本」と再会してみるのもいいな、と思います。

 

そういう考えに至るきっかけとなったのが、9月8日~24日の期間中、上野の森美術館にて行われていた「世界を変えた書物展」です。アリストテレスからアンシュタインまで、科学史、あるいは人類の生活そのもの多大な影響を与えた書物たちの「初版」が集っており、知の歩みを体感できるという内容。

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残念ながらすでに開催期間は終了してしまったのですが、入場無料ということもありかなりの盛況だったようです。私自身も、理解できたかどうかは別として、大変興奮しました。特にゲーテの『色彩論』は、現代の本といっても差し支えないカラーのきれいなデザイン性に驚きました。

 

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こうして「世界を変えた書物」と触れ合った後に思ったのは、先人たちの偉大さ、というのももちろんですが、そういった本とは別のベクトルで何かを変えた書物、「自分を変えた本」もあるはずだ、ということです。

 

本、特に活字ばかりのものは、文字という限られた情報源から、受け手が ”がんばる”ことで理解されます。つまり読み手の入り込む余地が大きく、現実とリンクさせやすいメディアである、ともいえます。しかもその文字たちには書き手の思想がたっぷり。だからこそ生じてしまう「毒気」のようなものは、映像作品とはまた違った、書物特有のヤバさであるともいえるでしょう。

 

昔、同じくゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んで、まるで主人公に後追いするかのように多くの若者が自殺していったという騒動があったそうです。書物の毒が、悩める青年たちにとっていかにヤバいかが実感できます。

 

私にとってのそうした「自分を変えた本」として筆頭にあげあれるのは、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』です。今でも忘れない、15歳の夏、あまりにも未知であまりにも汚い世界を垣間見て、「なんだこれ、なんだこれ」と鮮烈な印象を植え付けられました。

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そのようなあまりにも下劣なシーンばかりなのですが、読んでいくうちに幻想的な表現が「あるような気」がしてきて、子供心ながら感動に似た気分で読み終えたのを今でも覚えています。

 

正直いって私は文学の読み解き方など全くわからず、どこが良かったというのは言語化できないし、すべてが「何となく」の範疇ではあったのですが、あれほど心揺さぶられた毒々しい体験は初めてだったのです。もちろん主人公たちの後追いなどはしませんでしたが、少なくとも「自分を変えた(気がする)」作品であったことは間違いありません。

 

皆さんにもきっと、多くは思春期や青年期に出逢った「自分を変えた(気がする)書物」があるのではないでしょうか。文学作品か、あるいはエッセイ、学術書かもしれない。それを読んでしまったが最後、文字を追っているだけなのに強烈な印象が焼き付けられ、現実の価値観にまで影響してくる、気がした作品。

いささか大袈裟な表現ですが、思い出に残る本というのは、今の私たちの考え方にも爪跡を残しているのかもしれません。

 

この秋私が試みたい読書は、そうした「自分を変えた(気がする)書物」と再び向き合う、ということです。『限りなく透明に近いブルー』だけでなく、いろいろな作品が候補に挙がってきます。中には、当時は退屈で好ましいとは思えなかった作品もあります。そういった作品群と何年かぶりに再び向き合ってみる。

そのとき自分にはその本がどう見えるのか、どう感じるのか、味わってみるのも乙なものです。もしかしたら、その本に潜む新たな毒気にやられてしまうかもしれませんが。

 

みなさんも、「世界を変えた書物展」は終わってしまいましたが、ここはひとつ「自分を変えた書物祭」を開催されてみてはいかがでしょうか。いつもとは違う読書、いつもとは違う秋が待っているかもしれません。