J-POPはダサいのか
こんにちは、代表の村上です。
突然ですが、近頃巷で耳にする「J-POPはダサい」といったご意見、みなさまはどう感じていますか。
私はそんな考えに悶々としております。
なぜなら私は
J-POPアーティストであるスキマスイッチが好きだからです。
彼らの魅力なんて挙げたらキリがありませんが、その中でも私が特に魅力を感じているのが至る所に隠されたオーディエンスを楽しませよう、驚かせようとする工夫。
その工夫は曲中にライブにと、至る所に詰め込まれています。
たとえば誰もが知っているであろう『全力少年』を見てみますと
染み付いた 孤独論理(ロンリーとかけている)、拭えなくなっている
1番:躓いて、転んでたら「置いてかれんだ」
2番:遊ぶこと忘れてたら「老いて枯れんだ」
といった通り言葉遊びが散りばめられており、聞いて楽しい、歌詞を見て2度楽しい曲になっております。
さて先日私はスキマスイッチの15周年記念ライブ「Reversible」に2日間通し券で行ってまいりました。
(実は当日並んでいる間に全く別の内容のスタッフブログを書いていたのですが、今回のライブは彼らのエンターテインメント性を今まで以上に詰め込んだ内容になっており、あまりにも素晴らしかったため、どのようなライブであったかみなさんにもお伝えしたいと思います。
このつたないブログでみなさんが抱いているであろう、スキマスイッチの「名前はまあ有名で2~3曲くらい知ってる2人組J-POPアーティスト」といったイメージを「ぶっ壊して」いただけたら、これほどうれしいことはありません)
さて今回のライブ、まずすごいのが
(会場に入ると同時に配られた紙 イラストもかわいい)
全編を通してスマホによる写真・動画撮影がOKだということ。
今回のライブはスキマスイッチにしては珍しく、というよりも日本では珍しく全編撮影OKの太っ腹ライブになっていました。
「お土産に」とのことで能天気に「すごー」とか「やったー」とか言っていたファン一同ですが、この撮影した動画が、今回のライブを解読する上で重要な資料になることはまだ知る由もない…。
ちなみに私はたまたま目の前をボーカル大橋氏が通りまして(!)、しっかりスマホに収めることができました。
今回のライブのタイトルは「Reversible」。
ただ、なぜ「リバーシブル」なのか、どこが「リバーシブル」なのか、1日目が終わった時点で本人たちからの解説はありませんでした。
しかし前日のもやもやが残った2日目。オープニングの次に『全力少年』のイントロが流れ始めた瞬間、我々は彼らがこれから何をしようとしているのか察したのです。
普段全力少年は最後に持ってこられることが多く、盛り上がり最高潮でライブはアンコールに突入します。それが2日目は1曲目から全力少年だったわけです。
これが意味するところ、それは
彼らはライブのセットリストを『リバーシブル』にしようとしているということ。
彼らは1日目のセットリストを後ろから順に演奏していたのです!スキマ半端ないって!
これだけでもスキマスイッチが工夫凝らしまくりアーティストであることはご理解いただけたと思いますが、実はこれにはさらに続きがあるのです。
2日目最後の曲は『リアライズ』。
本人たちいわく「過去と未来の繋がり」をテーマに作ったとのこと。
(リアライズは1:26あたりから。メロディーが壮大でこれがまたいいんです)
あの時から全てがこの場所まで繋がっていた
見たことない景色が そのオレンジが眼に焼き付いてく
想像していたよりも遥かな 空が宇宙が 広がっていく
僕が手にしたい未来は 僕が作る
さぁショウタイムの始まりだ
ここからなんだ
「あの時から全てがこの場所まで繋がっていた」
という部分では「この場所」と歌う時に自分の足元(今回のライブのこと)を指さしていたのがとても印象的でした。
演奏の後に流れたエンディング映像はリアライズのメロディーを用いたものでしたが、ここで思い出していただきたいのが「セットリストがリバーシブルである」ということ。
実は1日目の最初にオープニング映像が流れていたのですが、その動画は2日目のエンディング映像を逆再生したものだったのです。
(これを解明するのに、撮影した動画が役立つわけです)
仕掛けが大胆かつ緻密すぎる…。
この熱量(凝りよう)に彼らの「ここからなんだ」というメッセージを強く感じました。
(2日目のエンディング映像は「Our Journey will still continue」という文で締められる)
つまり今回のライブは過去と未来を繋ぐ(1日目のセットリストにはなかった)「リアライズ」で始まり、「リアライズ」で締められていました。
撮影をOKにしたのも、普段はない通し券が販売されたのも、この一連の流れを楽しんでもらうためだったのでしょう。
彼らが今回のライブの構想を練っていた時から、我々はスキマスイッチの手のひらの上で踊らされていたわけです……!
いや~それにしても本当に楽しい2日間でありました!!!
ざっと2日間の流れを大まかにお伝えしましたが、今回のライブだけでもお伝えしきれてない、そしてまだ見つけられていない工夫がたくさんあります。
いつも我々の予想の上を行く2人のすべてを理解するのは不可能だと悟ると同時に、どこか寂しい気もします。
しかしこれらがすべて彼らが音楽活動を楽しもうと、そしてなによりファンを楽しませようと、考え抜いた結晶なのですから、こんなファン冥利に尽きることはありません。
スキマスイッチサイコー!!
さて、ここで(やっと)冒頭の問題に戻ります。
J-POPはダサいのか。
そもそもポップスの定義は「ポピュラー音楽」や「万人受けする音楽」、「若い層に好まれる音楽」などとても曖昧で、ビートルズはポップスだという人もいれば、いやロックだという人もいます。
今回のブログでその定義を明確にするつもりはありませんが、アーティストとオーディエンスが共に「楽しむ」という心意気、彼らの言葉を借りると「魂の交歓」のようなものこそが「ポップス」の根幹であると私は思います。
(ある種かなり他人本位な音楽とも言えるので、そういう点では多ジャンルと一線を画している気もします)
そもそも音楽は「音」を「楽」しむと書きますが、そう考えると音楽ジャンル全体の中でも「音楽」とポップスは特に真髄が近いのではとも思えてきますが、それはいささか邪推でしょうか。
ともかく、私は2日間のライブを心の底から嘘偽りなく「楽」しんだし、みなさんも好きなアーティストのライブに行ったら同じような気持ちになるはずです。
前号のSeel 、『ZINE』では「好き」という思いを否定することなど誰にもできないのだとお伝えしましたが、それと同じで音楽やライブに浸ることで生まれる「楽しい」という感情も、決して誰にも一蹴できるようなものではないのではないでしょうか。
つまり、音楽(今回だとJ-POP)を楽しむ人の感情はそうやって否定できるようなものではなく、そもそもダサいと否定する概念自体がお門違いだと私は思うのです。
ということで結論。
J-POPはダサくなんか
ない!!!!!!!!
みなさまもよいミュージックライフをお送りくださいませ。
それでは。