Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

まじめに、ゆっくり、

こんにちは。営業2年の渡辺です。

梅雨入りもして、心が腐っちゃいそうな6月ですね。

私は今月に入って三度ほど突然の雨に見舞われて、

三度ほどコンビニ傘を買いました。

出費的な面でもそうですが、自分のポンコツさにもう腐りました。

折りたたみ傘を常備している賢いみなさんは梅雨でも心を正常に保ててるとは思いますが、もし心が腐っちゃった時に是非オススメしたい漫画があります。

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中村明日美子さんの『同級生』シリーズです。

あらすじとか雰囲気を説明するのがめんどくさいので

とりあえず一昨年に映画化されたものの予告編をご覧ください。

https://youtu.be/Bv-eKHtH0r4

なんとなく「めちゃくちゃ青春で、爽やかで、エモい」ってざっくり掴めたかと思います。

ごめんなさい。一応、掴めなかった人のためにあらすじ書きます。

めんどくさがっちゃダメですよね。そういうとこですよね。

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イラスト左の金髪がおちゃらけたバンドマン、草壁光。

イラスト右の眼鏡が寡黙な優等生、佐条利人。

同じクラスだが、いわゆる「ジャンルの違う」ふたり。

接点はなかったのだがある放課後、佐条が教室で合唱祭の曲を一人で練習していたところに草壁が居合せる。

ひたむきに練習する佐条の後ろ姿を目にした草壁は思わず声をかける…。

というあらすじです。

私は本当にこの作品が好きで、語ろうと思えばいくらでも語れるんですが、

今回は言葉やセリフに注目して紹介したいと思います。

まず、この作品のキャッチコピーです。

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「まじめに、ゆっくり、恋をしよう。」

ステキですね。

シンプルイズベスト、オブベスト。

私はKinKi Kids

「恋はジェットコースター」

って歌ってる年に生まれた

いわゆるジェットコースター・ロマンスベビーなので

この言葉がより一層響きました。

では、本編の言葉を見ていきましょう。

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「水の中を泳ぐように歩く」(『卒業アルバム』「もうひとつの」より)

これは佐条が草壁を描写した言葉なんですけど、

すごく綺麗な言葉ですよね。

そしてめちゃくちゃ草壁の雰囲気をうまく表現できてるんです。

水の中を浮遊しているようなフワフワ感、

でも捕らえようとしたらスーって逃げていく。

もう本当に天才だと思いました。

続いてこちらのセリフです。

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「佐条 ライターもってない?」(『同級生』「秋」より)

愛すべき当て馬役、原先生のセリフです。

彼は二人の担任で音楽の先生です。

入学式の日のある出来事で佐条のことを好きになりました。

そんな原先生が佐条に会うたびに言うのが

「佐条 ライターもってない?」

というセリフです。

これ、まだ『同級生』読んでない皆さんでもわかると思うんですけど、

佐条がライターを持ってるわけないんです。

こんな真面目な子がタバコなんて吸うわけないんです。

だから毎回、佐条は「もってません」って答えてます。

なんのとりとめもないやりとりに見えるかもしれないですが、

このやりとり、原先生の恋そのものだと思いませんか。

先生と生徒という関係で届いてはいけない想い。

わかっているからこそ、相手にノーと言い続けてもらいたい。

…せつないですね。

どんどんいきましょー

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「あきのたの かりほの いおの……とま を あらみ わが…わがころも…」

「わがころもでは つゆにぬれつつ」(『同級生』「秋」より)

和歌が出てくる男子エモすぎませんか?

このお話は『同級生』が連載されていた雑誌の

テーマが「和」の号に描かれたお話だそうです。

それにしてもなかなか粋です。

百人一首の一番歌としても有名なこの和歌。

露骨な恋の歌をピックアップしないあたりも粋な作者さんです。

あ、一応草壁をフォローしておくと

急に彼が和歌を詠むというキザなことをした訳ではなく、

お話の冒頭、古典の時間でこの歌が扱われてるのです。

歌の現代語訳をコピペします。

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秋の田圃のほとりにある仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が

粗いので、私の衣の袖は露に濡れていくばかりだ。

この仮小屋っていうのはせっかく収穫した作物を

他人や動物に奪われないために見張る小屋のことです。

下の句は恋の歌として

あなたを待って涙で袖が濡れる

って解釈されることもあります。

古典の世界から『同級生』の世界に戻ります。

このお話では原先生が当て馬として初登場します。

草壁と佐条がちょっとした仲違いをして、

佐条に歩み寄る原先生…

って話です。

このお話と和歌を結びつけると

原先生が佐条を奪わないように仮小屋で見張る草壁

そして涙で濡れるのかなー

って読んでない人は予想すると思うんですけど違うんです。

この後、草壁は佐条を連れ戻しに来るんです!

そしてこの歌を詠んで、告白をするんです!

そう、「露に濡れつつ」の「露」が

涙じゃないんです!汗なんです!

ただ涙して待つんじゃなくて、汗を流して迎えに来てくれる。

それが草壁という男です。

さっきまで悲しい和歌だったのに

草壁のかっこよさを表した和歌になりました。

ということでいくつか、『同級生』の言葉やセリフについて見てきましたが

いかがだったでしょうか。

本編ではもっと素晴らしい中村明日美子大先生の表現が読めます。

ちょうどこの時期くらいから話が始まる『同級生』シリーズなので

ぜひ彼らと同じ季節をたどってみてください。

それでは。

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熱気に包まれて

こんにちは、営業2年の村上です。

 

 

気が付けばもう6月に突入していましたね。

Twitterで「2018年上半期の○○」などといったハッシュタグを見かけたときは、上半期???嘘だろ……???と思ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

さて私事ですが、先日スキマスイッチのライブに行ってまいりました。

数千人が音に包まれて一体となるあの空間は何度行ってもたまらないですね。

あの時空間に小さな宇宙さえ感じてしまいました。

 

 

Seelでも昨年発行したVol.30『LIVE』にてLIVEの「生」だからこその魅力を存分に取り上げております。まだ読んでいないという方はこれを機にぜひお手に取っていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

さて、そんなスキマスイッチですが最近少し脚光を浴びておりまして、

 

 

 

 

 

 

 

 

そうです、もうお気づきの方もいるかと思います。田中圭さん主演の「おっさんずラブ」ですね。

 

 

今回スキマスイッチはエンディング曲を担当しているのですが、実は本編にも一瞬登場していたんです。

 

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↑春田(田中圭)が昔通っていたスキマスイッチという名のバーの二人に再開し、また「飲みに来ないか」と誘われるシーンなのですが……

 

 

これ13年前のスキマスイッチの「飲みに来ないか」という歌から来ているんです。というのもこの歌のMVに出ていたのが田中圭さんなんですね。

 

 

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ちょいダメサラリーマンの田中圭さんがめちゃめちゃかわいいのでぜひ見てみてください。

 

 

 

 https://www.youtube.com/watch?v=16dCkDnhpAA

 

 

 

さて前置きが大変長くなってしましました。ここからが今回の本題です。

先述のライブ中ふと思ったことがありまして、それは「我々の応援という気持ちはどこに昇華すればよいのか」ということです。

それは「どこにお金を落とせばいいのか」ということにもつながってくると思います。

 

 

 

我々がアーティストを応援する手段としては大きく分けて・音楽を聴く(もちろん合法の手段を使うことが前提です)・ライブに行く の二つだと思います。

(ファンクラブとかグッズとか色々ありますが今回はちょっと置いておきます)

 

 

今回はじゃあどうすればアーティストに貢献できるのかということを調べてみました

 

 

 

 

 

まず最初に結論を申し上げてしまいますと一番手っ取り早いのが「ライブに行くこと」でした。

 

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上図はCDの生産金額とライブの総売り上げ額の推移です。(2000~2010年までは5年刻みにしています)

 

 

ライブを開催するには多大な費用が必要になりますが、その分出る利益も多くなります。

そのため主な収入源、そして(後述しますが)ファンを誘導していくうえでの一つのゴール地点をライブとしているアーティストが多いようです。

 

 

 

 

 

ではどうすればアーティストはファンをライブまでつなげられるかという話になってきまして、それこそ以前だったらCDを買ってもらうというのが主流だったわけですが、グラフを見てもわかる通り、いよいよそうもいかなくなってきたわけです。

 

 

 

 

 

そこで現在主流となってきているのが、使っている方も多いのではないでしょうか、SpotifyApple Musicといった定額音楽配信サービスです。

 

CDには「物」としての良さがもちろんありますが ・一枚一枚が安いわけではない・ポータブルプレーヤーに入れるためにはパソコンにつなぐ手間がかかる・場所をとる などといった点を考えると、配信サービスを利用する人が増えているのもわかります。

 

 実際2016年にはCDの売り上げを、定額配信サービスの売り上げが抜きました。

 

音楽を入手する時代から音楽にアクセスする時代に変わってきているわけですね。

 

 

 

 

ではCDと配信サービスでアーティストの収入はどう変わってくるのかということをついでに調べてみたところ

【CD】1枚につき154円

Spotify】1再生につき0.15円

の利益がアーティストにはあるそうです。

 

しかしこのままだと単位がバラバラのため、今回は[アルバムに14曲入っていて、それぞれ20回再生する]と仮定しました。

 

そうすると曲ベースで計算すると

【CD】1曲につき11円

Spotify】1曲につき3.0円

 

再生回数ベースで計算すると

【CD】1再生につき0.55円

Spotify】1再生につき0.15円

 

の利益となり、どちらにしてもCDの方がもうかるのがわかります。

 

それでもアーティストが配信サービスに参入する(もしくはせざるを得ない)のは「最盛期のCDにはかなわないけれど、このご時世CD一筋でやっていくよりはよい」からだと考えられます。

 

配信サービスとCDの売り上げの差というのはこれからも開いてくると予想されます。そのため、1再生あたりに得られるお金は少なくても、より多くの人に聞いてもらい、いずれはライブに足を運んでくれるようなファンを増やしたいというのが狙いなのではないでしょうか。

要するに配信サービスはコアなファンを創出するための土壌づくりみたいなものなんですね。

 

 

先月ミスチルが全シングル&アルバムのストリーミングを解禁しましたが、こういった背景も理由の一つなのかなと個人的には思います。

 

 

 

これから梅雨がきて、その後には猛烈な暑さがやってくると思うともうすでに萎えてしまいそうですが、そんな気持ちも吹き飛ばしてくれる曲をきいて、そしてどこか心地の良いライブの熱気に包まれにいくのもまた一つ夏の楽しみ方ではないでしょうか。

 

自分がずっと応援してきたアーティストのライブにいくのもよし、気になってはいたけれど行ったことはなかったアーティストのライブにいくのもよし。

 

自分とアーティストを結ぶお金の在り方を一度考えてみてくることで見えてくるものもあるのではないでしょうか。

 

ではまた。

 

 

 

 

夏がとまらない

こんばんは。2年デザインの宮原です。

ひっそりと紫陽花の咲き始める季節となりました。湿気が多く妙な天気が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

私は新たにバイトを掛け持ちし始めたらシフト作成がうまく行かず、なんやかんやで週5労働するはめになったので、始めたばかりですが後悔しているところです。みなさんも気をつけてください。

このように週5でバイトをしていると家でテレビを見るまとまった時間が取れず、最近のお笑い事情にさっぱり疎くなってしまいました。エンタの神様長州小力が出ていた時代が懐かしいですね。

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唐突に挿入してしまいましたが、最近すごく好きな藤岡拓太郎さんという方をご紹介したいと思います。

<藤岡拓太郎>

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ギャグ漫画家です。

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この雰囲気、おわかりいただけましたでしょうか。

ありえない世界のはずなのにどこか共感を覚える、そんな彼の漫画で電車の中でも声が出るほど笑ってしまいます。本当おもしろいわー。

藤岡さんは漫画をTwitter上でバンバン公開していらっしゃるので、ぜひフォローしてみてください。@Mr_Coppepan

 

また、書籍『藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない』も発売されております。漫画217本に、書き下ろしの詩とエッセイが加えられているということで私も今すぐ手に入れたい気持ちなのですが、あいにくAmazonでは売り切れとなっております。6月中旬ごろ入荷予定だそうなので、興味を持たれた方は一緒に買いましょう。

http://amzn.asia/33gIQqf

 

ギャグ漫画っていいですよね。私のファーストギャグ漫画は銀魂でしたがその後ギャグ漫画日和を経て時代とともに斉木楠雄に移ったりしました。ちょっと、藤岡拓太郎さんの漫画を読んだあとだとユルい気持ちになってしまってもう何も書けなさそうです。

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はたらけどはたらけど

こんにちは。営業2年の保苅です。

5月も後半に差し掛かり、まだ肌寒いんだかもう暑いんだか分からないような気温の日が続きますね。

部内ではvol.32の製作が進んでいます。今号もかなり読み応えのある雑誌になりそうです!

 

さて、4月の話になりますが、わたしは1つのコント舞台を観に行ってきました。

小林賢太郎さん率いるコントマンシップ「カジャラ」の、3回目となる公演「KAJALLA3」です。

カジャラのコント舞台は年に一度、全国の劇場を回る形式で上演されます。

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毎回ポスターがかっこいいです!統一感があるのにどこかシュールで心に引っかかる、小林さんの作るコントと同じテイストが感じられます。

 

ちなみに、「KAJALLA1」のポスターはこんな感じ、「KAJALLA2」はこんな感じです。どちらも好きです。センス良い…

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私は小林賢太郎さんの作るコントが中学生の頃から大好きだったので、今回初めて生で観ることができ、とてもとても興奮しました。とても興奮しました。

 

「KAJALLA」の副題は毎回変わります。今回の「KAJALLA3」の副題は「働けど働けど」。「働く」をテーマにしたコントが五本上演されました。

 

小林さんの面白いところは、さまざまなコントの形を作られているところです。

机や椅子を使い複数人の掛け合いで成り立ついわゆる普通のコントから、小林さん1人だけが何も無い舞台上でナレーションに合わせて演技をするコントまで、いろんな味わいを楽しめます。

 

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わたしが今回の五本の中で特に好きだったのは、副題にもある石川啄木の詩「働けど働けど、我が暮らし楽にならざり」の一文をベースにして作られた小林さんの独り舞台のパートです。

 

1人の男が浜辺で砂の城を作っているのですが、灯台の光に当てられると粉々に砕けてしまい、それでも男は砂の城を作り続ける、といった内容でした。

 

セットや舞台転換は一切なく、照明とナレーションだけ。あとは小林さん1人がパントマイムで演じ切ります。

 

小林さんのコントを見ると、コントという概念が覆ります。いや、覆るというよりは、コントというパフォーマンスの幅広さと可能性を感じさせられます。

 

口では少し説明しにくいので、是非本物を見ていただければ…!(12月ごろにNHKのBSで放送されると思います)

 

とてもシュールでコミカルな小林さん独自の世界観でに作られているのですが、それが詩のうら寂しい雰囲気と絶妙な化学反応を起こしていて、見終わった後には感動なのか笑い泣きなのか判りませんが、泣いてしまいました。

 

そんな感情を様々な方向に動かされる素晴らしいコント舞台なのですが、年に一度しか見ることができないのが寂しいです。でも、来年の春が今から楽しみですね!!

 

そんな寂しさを埋めるにはもってこいの「Seel vol.32」は7月3日発刊予定です!ぜひお手に取ってください(^o^)

 

まだまだ夜は冷えるので、皆さん風邪をひかないようにしましょうね。

それではまた!

 

オトナには無い感性

こんにちは、2年の関根です。

ここ最近暑い日が続いてますね。まだ梅雨前だというのに半日外で作業をしていただけでくっきりと腕時計焼けと靴下焼けをしてしまいました。雨は嫌いですが早く梅雨が来てほしいものです。

さて、今回のブログですが数時間後が記事提出の締め切りです。かなりピンチな状況です。

上手い話を考える時間がないので昨日観た映画の話をすることにします。

その映画がこちら

泳ぎすぎた夜』です。

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この映画はフランス人のダミアン・マ二ヴェルと日本人の五十嵐耕平という2人の若手映画監督が美しい原風景のような冬の青森に魅せられ、共同監督作品として企画し、青森で生まれ育った人々と限られたスタッフによって制作された“こども”映画です。

あらすじ

雪で覆われた青森の山あいにある小さな町。夜明け前、漁業市場で働いている父親はひとり目覚め家族を起こさないように、静かに仕事に行く準備を始める。その物音で目を覚ました6歳の息子。父親が出て行ったあと、彼はクレヨンで魚の絵を描く。そして翌日。結局寝ることができず、うつらうつらしたまま学校に出かける。だが、登校途中に彼は、学校には向かわず、父親が働く市場を目指す。朧気な記憶を頼りに、手袋を落っことし、眠い目を擦りながら。

https://youtu.be/3mAqT-28F5c

この映画のみどころは何と言っても主人公である6歳の少年が行く先々で見せる自由奔放な子供のすがたです。

この男の子、実は子役ではなく監督がロケ地のショッピングセンターに来ていた彼をスカウトして撮影したのです。

そのため、彼の行動は演技ではなく本人そのままの自由な行動であり、その自由奔放で感情豊かな行動はまるでこどもの1日に密着したリアリティのある「はじめてのおつかい」ようでした。

また、予告編にも出てくる犬とのやり取りなどこどもならではの感性で動く少年がとてもとてもかわいくて終始ニヤニヤしながら観てしまいました。

私はこの映画を渋谷のシアター・イメージフォーラムで観たのですが残念ながら既に上映期間が終わってしまっています。(実は観に行った回が最終上映でした)

しかし、これから順次全国で公開されていくようなので少年に癒やされたい方はぜひ観に行ってみてください。

なんとか締切の時間に間に合いそうです。

次回はもっとじっくり考えてから投稿できるように頑張ります。

それではまた。

田舎のイオン育ちに「シティボーイ」という幻想は必要ない

こんにちは、広報2年の後閑です。

 

新学期が始まって早一か月が経ちました。すでに夏の足音も聞こえてきています。五月病なんて言いますが、皆様はいかがでしょうか。出来ることならモチベーションはずっと高く保っていたいものですが、一度立ち止まり振りかえってみるのも悪くないものです。5月はそういう時期かもしれません。

 

僕もこの機会に自分について振り返ってみましたが、そもそも大学に入学し、田舎から出てきて一人暮らしを始めたあの頃から一年経ったという事実に結構な衝撃を受けました。

 

僕の場合、住んでいるところは都会というよりもいわゆるベットタウンに該当していますが、それでも田園と住宅とチェーン店で埋め尽くされた地元よりかは明らかに発展しているし、都内へのアクセスも圧倒的な差があります。おかげで都市的な風景にも慣れてきました。もうあの頃のように高層ビルを意味もなく見上げて感動することもありません。

 

しかし、やはり田舎出身というパーソナリティは拭い去ることはできず、都会で生まれ育った人との差を痛感する場面は多々あります。そもそも、田舎と都会ではその場にあるモノの数が全く異なるので、当然そこで生まれるカルチャーの多様性にも超えられない壁が生じしていることは自明です。思春期にハイカルチャーからサブカルまでを探求し触れられる環境なんて田舎にはなくて、あるのは田んぼとイオンだけ。そう、田舎においては「すべてのカルチャーは巨大ショッピングモールに収束する」のです。

 

 

下妻物語におけるジャスコ

 

そんなことを考えていた時に、昔見た『下妻物語』という映画を思い出しました。

 

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この映画は小説を原作として2004年に公開されたもので、当時のテンポのいいコメディドラマ感と、終始ロリータファッションに身を包む深田恭子の可愛さがふんだんにつまった作品です。

 

この作品の中で、舞台である下妻の人々がその服のほとんどを「ジャスコ(現:イオン)」で購入しているというギャグ描写がいくつか出てきます。「ジャスコにはなんだってある、なんもかんもそろってる」というセリフは一見とんでもないことを言っているようで、実は的を射ているのでつい笑ってしまいます。

 

作中でジャスコは、非文化的で均一性の高い「田舎っぺの感性」の象徴として掲げられ、深田恭子演じる桃子の鮮烈なロリータファッションやロココ時代へのあこがれと対照的に描かれます。桃子は下妻の生まれでないので、その感性に疑問を呈し続けますが、下妻の人々はそれが自分たちの暮らしの「当たり前」である以上、その文化的価値を問うことなどしません。そのギャップは作中滑稽なものとして描かれますが、都会生まれと田舎生まれの感性の違いを本質的に表しています。

 

 

マイルドヤンキーと「イオン育ち」

 

下妻物語では、もう一人の主人公として土屋アンナ演じるレディースの一員であるイチゴが出てきますが、田舎といえば切っても切れないのがヤンキーという存在です。僕の地元にももちろんいて、ブイブイ言わせている人間は多かったです。

 

しかし一口にヤンキーといっても様々な変遷があります。下妻物語は2000年初期のヤンキー像を描いていますが、もう少し最近の話をすると、数年前に流行った「マイルドヤンキー」という概念が挙げられると思います。彼らは「地元と車が大好きで、同年代との仲間意識に生活の基盤を置く」という傾向を持つと定義されています。彼らについては、当誌でもvol.22「YANKEE×CITYBOY」にて、本物のヤンキーとの比較という形で取り上げています。

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seel-magazine.wixsite.com

 

本誌ではあまり触れていませんが、そもそも「マイルドヤンキー」を提唱したのはマーケティングアナリストの原田曜平氏であり、当然その消費傾向にも注目が向けられました。彼らは「新保守層」と呼ばれます。これは政治的意味ではなく、その生活スタイルが保守的に見えるということです。都内に住む文科系の人々からは想像がつかないかもしれませんが、彼らは大衆映画や大衆音楽ばかり好み、休日はショッピングモールで食事や買い物をする、それで満足しがちなのです。

 

「そんなの人として間違っている!」と思われる方もいるかもしれませんが、ライフスタイルが根本から異なっているので都会での文化的な暮らしや地域ぐるみで文化を盛り上げている地域で生まれ育つ、もしくは暮らしている人々との比較は難しいと思われます。むしろそれゆえにこのマイルドヤンキー理論は都会の評論家たちにとって衝撃的であり、あそこまで大流行したのです。

 

そして、そのような彼らの生活スタイルを支えているのが下妻物語で均一性の象徴とされたイオンを代表する巨大ショッピングモールです。マイルドヤンキー的な傾向にある田舎で育つことはすなわち、「イオン育ち」であるといっても過言ではありません。

 

「シティーボーイ」は標語に過ぎない

 

さて、そんな「イオン育ち」の人間の中にも都会に出ようと志す人はたくさんいます。その多くは僕のように進学がきっかけです。親元をはなれ、一人暮らしを始めて、10000人が在籍するキャンパスという学びの場を与えられて、モノやカルチャーがすぐそばにある環境を与えられて、さあなにをしようかという話になります。

 

均一性の高いイオンで消費を繰り返してきた僕たちは、いきなり身の回りに溢れるモノを使って、独創性を発揮なんてことはできません。

 

すると、第一目標は「シティーという環境に迎合すること」になります。田舎臭さをネタにしつつも、周囲から浮かないように、環境に適合する、生物学的にも正しい判断です。身なりだけでなくて価値基準も都会っぽく仕上げなければなりません。田舎くさい考え方はナンセンスでダサく思われがちです。

 

結果的に、僕らは何になろうとするか。それは本誌vol.22でヤンキーと比較された「シティボーイ」という言葉で表されるのかもしれません。シティ感を身なりや立ち振る舞いから匂わせることは、シティーの一員になった何よりの証明です。だから僕たちは、自分自身にシティボーイ化を求める。

 

しかし、それは本当に可能なのでしょうか。先ほど言った通り、イオン育ちは「そのイオン育ち臭さ」を払拭することはできませんし、育んできた価値観は全くもって異なります。それどころか、シティボーイに関する文章などを見てみると、「シティボーイは、まず都市部出身でなければならない」と定義されがちです。見てくれを模倣したところで田舎出身という時点でフェイクであると否定されてしまいます。

 

ただその一方で、「シティボーイのためのファッション&カルチャー誌」を銘打っているPOPEYEの前編集長、木下孝浩氏はシティーボーイの定義を「例えば電車で席を譲れるような男の子」と表現しており、それは精神的なものだと述べています。

 

じゃあ結局のところ、シティボーイとは何なのか。これは僕個人の意見ですが、少なくともイオン育ちにとっては、「シティボーイ」とは単なる空虚な標語にすぎないのではないでしょうか。

 

POPEYEがシティボーイを推すのは、彼らがアメリカポップカルチャーの思想に基づいて、現代日本における若者たちの「理想」をクールに語る雑誌だからです。その理念自体はぐうの音も出ないほどに素晴らしいしカッコいいです。しかし、誌面でシティーボーイの実例として取り上げられる人々は、その活動や作品、そしてその人物自体に価値や魅力があるのであり、「シティボーイであること」に根本的な価値があるわけではありません。あくまでそれは標語であり、キャッチコピーにすぎないのです。

 

イオン育ちはこの標語として掲げられた「シティボーイ」を何か到達すべき目標として捉え、躍起になりがちです。ましてや、都市の価値観に合わせようとすることがシティボーイ化であり、自身のアップデートであるとみなしてしまいます。そしてその適応は大変に骨が折れ、疲れる作業です。

 

だったらいっそのこと、イオン育ちが無理して抱くシティボーイなどという幻想は捨ててしまったほうがいいのかもしれません。都市の価値観は田舎のそれと比べて効率性や多様性という点で優れているのかもしれませんが、イオン育ちがわざわざ田舎の価値観を捨てて都市の価値観に合わせ、その視点から都市を語ったところで、純シティ育ちには敵いません。

 

むしろ、歪んでいるのは都市の側で、田舎の価値観が正当なこともあるでしょう。例えば、何もないからこそ常に「なんとかしてきた」のは田舎ならではの体験であるといえます。これを話のネタ程度に終わらせるのではなく、自分の中で大切な経験として捉えておくことが重要だと思います。

 

下妻物語において、桃子とイチゴは友情を深めますが、桃子は終始一貫して「私が好きなもの・やりたいことは私が決める」と決して自分を曲げることを嫌いました。その姿勢に惚れ込んだイチゴも、たとえ一人になったとしても走り屋として自分を貫くことを決意します。

 

イオン育ちの人間も、いくら都会がハイソサエティハイカルチャーな街に映ったところで、結局向き合うのは自分で、何を為すかを決めるのは自分自身です。その時、自分が実体験してきた田舎の価値観を捨てて、見た目がスマートに整えられた標語として現れる都市の価値観に合わせようとするのが本当に正解なのでしょうか。もちろん文脈を把握することはカルチャーの理解に欠かせません。しかし自分という主体を見失ってしまうのであれば本末転倒、「都市に負けた」といわざるを得ません。

 

イオン育ちは、都市ならびに「シティボーイ」に対する信仰を捨てて、この都市という環境で、自分なりの価値観を作り上げるのだという意思を持つべきです。都市に反抗したりあえて迎合してみたり、地元を見つめ返してみたり、環境ごとの自分を客観視したり、そうやって都市や地元と適切な距離感でかかわることができたとき、イオン育ち都会在住の人間は、「シティボーイ」になれずとも、それとは別の角度から、都市とのいい関係を築ける豊かな感性を手に入れることができるのかもしれません。

夏を迎えに行くために

こんにちは。広報2年の久我です。

五月ですね。日中暑いと思えば夜は冷え込んだり…とまだまだ不安定な気候ですが、少しずつ夏に近づいている気がします。

そんな中で先日、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見ました。

というと昨年公開されたアニメ映画が記憶に新しいところですが、このアニメ版には原作があります。1993年に放映された岩井俊二監督の同名のテレビドラマです。私が見つけたのは、そのテレビドラマの劇場映画版でした。

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https://youtu.be/yGN8BTD8GgU

花火大会の1日。少年たちは「打ち上げ花火が横から見ると丸く見えるのか、平べったく見えるのか」を確かめようとする。

ただそれだけだったはずが、同級生の少女・なずなは、50メートルの競泳で競う少年二人(典道、祐介)の勝った方と駆け落ちすることにして…というあらすじです。

私はこの実写映画版を見て、思いっきり背伸びするなずなに引き付けられてしまいました。

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大人からすれば、同級生を駆け落ちに誘うことやその道中での大胆な言動は、いじらしく見えてしまうでしょう。

けれど、私には周りの目を気にすることなく意のままに背伸びする彼女が、同じ人間として素敵だなと思えて仕方ありませんでした。すぐそばで彼女に呆れたりドキドキする少年、うらやましくて…。

そんな45分間でした。

個人的な感想をつらつらと書いてしまいましたが、来る夏の(気持ちの)予習にもピッタリだと思うので、ゴールデンウィークのお供にどうぞ。

あ、ついでに!

Seel Vol.31「サイエンス・(ノン)フィクション」もご一緒にどうぞ!