Seel STAFF BLOG

カルチャー系フリーペーパーを制作しているSeel編集部のスタッフたちによるブログ。

自然を、いただく。

 

こんにちは、はじめまして。広報一年の後閑です。最新号のvol.30「LIVE」、おかげさまでSPF立教大学文化祭)にて多くの方に手に取っていただきました。ありがとうございます。今後も配布や設置等行っていきますので、最新情報はTwitter→@Seel_magazineにてチェックしてみてください。よろしくお願いします。

 

今回Staffブログを初めて書くのですが、恥ずかしながら自分はコアなカルチャーに詳しいわけでもないので、むしろ誰にでも当てはまるような、大衆性にぶっ飛んだカルチャーの話でもしようと考えました。一体それは何か。僕らにとって最も身近で、最も基礎的な文化…

ファッション?インテリア?

 

 

 

はい、そうです、「食事」ですね。美味しいものを口にしたとき、幸せですもんね。というわけで、飯の話をします。

 

 

さて、食いしん坊万歳を地で行く人間であるかのような発言をしておいてなんですが、僕は去年まで「食事」というものにあまり興味を持っていませんでした。「美味いもんは確かに美味い、けどそれ以上に何かあるのだろうか?」と本気で思っていました。そんな僕のちっちゃい考えは、とある漫画によりひっくり返されます。

 

 

それが、五十嵐大介氏作、「リトル・フォレスト」です。全二巻。

 

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この漫画のあらすじは、簡単に言ってしまえば「都会の暮らしから幼少期を過ごした“小森”に移り住んだ主人公、いち子の日々の食事録」です。彼女と、小森の自然と、小森の人々の暮らしが、のどかに淡々と描かれていきます。しかし、この作品をただの「田舎暮らしのススメ」と片付けるのは、とにかくもったいない。

 

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まず、作者の五十嵐氏が描く「自然」。これに圧倒されます。自然の美しさや雄大さもさることながら、その生々しさや、時には恐ろしさまで。ラフな画風のなかで「自然と共に生きる」ということがいかなることか、感じ取ることができ、ユートピアという枠に収まらない独自の世界観を体感できます。

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(まったりした農作業の風景からページをめくると突然に印象的な描写。こういうとき、自然の潜在的な、得体のしれない力にはっとさせられます。)

 

 

そして、肝心の「食事」。出てくる料理の美味しそうなこと!は、もちろんとして、料理の一つ一つに「物語」があり、「伝統」があり、「知恵」がある。そうして様々な要素が重なって出来上がる料理は、より一層魅力的に見えてきます。

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(山菜フルコース。間違いなく美味い。)

 

ただ、小森の人々は「生きる」ために「作り」、「食べ」ます。作中でも「冬が終わって先ずすることは、次の冬の食糧をつくること」とあるように、作物が採れない厳しい冬を自分たちで乗り越えなければならない彼らにとって、「食事」は人間生活の根幹をなします。社会も、人間関係も、小森の地では「食事」の上に成り立ちます。そしてそれは、自然との共生によるものです。

 

では、僕ら自身はどうか。これは主観ですが、一方的な消費者として、アスファルトに囲まれた僕らでもやはり、生活の深い根っこの部分に「食事」があると思います。ただ、それを忘れてしまうことが多い。

 

現代社会はまさに、「大グルメ時代」です。美味いものが至上とされ、安ければなお良し。都会には客から高評価を獲得した有名店がずらずらと軒を連ねます。最近ではグルメ漫画も再び勢いをつけてきました。「美味いものを食べて幸せになる。」これは時間とタスクに追われる現代人にとって、もっとも手っ取り早く、わかりやすい幸福の獲得法です。

 

でも、目の前の、お皿の上の一時的な幸福にだけ夢中になって、食事という行為が持つ人間生活における根本的な役割、「生きるための食事」という根っこを見失ってしまうのは、なんだか悲しい。

 

生産者が生み出したものを消費する者として、自然をいただく者として、食事を本当の意味で「味わう」姿勢を忘れないようにしたいな、と今は考えています。そうすることで、「食事」という文化はより一層、僕たちの中で輝くと思います。

 

 

そういうわけで、飯の話でした。皆様、良い食生活を。